複雑系といのち 5

 

16世紀になるとパラダイムの振り子は、有機的全体論的世界観から物質重視の機械論的世界観へと振りはじめます。

 

前回の最後に触れたように、15世紀にダ・ヴィンチは自然から学ぶために科学を用いていました。対し、ガリレオに始まる16世紀から17世紀の「科学革命」では、自然をコントロールし利用するために科学が用いられました。そして、その影響は今日も続いています。

 

ガリレオ(1564−1642)は、科学は形や数量、動きなど、計測と定量化が可能なもののみを研究するべきだと提唱しました。そして、色や匂い味や音といった質的なものは、単に主観的な精神的投影だとして科学から排除すべきとも。

 

物理の研究において、定量的な側面のみを対象とすることが非常に効果的だったからでした。これは、その後数世紀に渡りニュートン・デカルト的機械論の世界観の枠組みの下、あらゆる自然現象そして社会現象の研究に適用されました。

 

それにより、色、音、味、匂い、触感はおろか、より複雑な美、健康、倫理的感受性といった生命の大切な特性の研究が、何百年も遅れることになります。

 

ガリレオと同じ頃、イギリスではフランシス・ベーコン(1561−1626)が、観察実験と仮説検証を重ねる帰納的研究手続きを明確にし、それを積極的に普及することで大きな影響を与えました。

 

とりわけ機械論的世界観へと大きくシフトする原動力となったのは、ルネ・デカルト(1596−1650)でした。デカルトといえば近代哲学の父的な位置付けで語られることが多いですが、優れた数学者であり影響力ある科学者でもありました。

 

デカルトは、自然を精神と物質という全く異なる独立した部分に分けられるものと提唱しました。また物質的世界は生きものも含めて機械のようなものであり、部分に分解し分析することで完全に理解可能なものであると唱えました。

 

世界は精密な数学的法則で動く完璧な機械のようなものという、ガリレオとデカルトの概念的枠組みはアイザック・ニュートン(1642−1727)によるニュートン力学の登場により完成をみます。

 

1800年代になり化学が発達すると、生物は物理学と化学の原理で説明のつく機械のようなものとみなされるようになり、究極的にはそれらの相互作用で説明できるとされました。

 

機械論的パラダイムの行き過ぎた台頭に対する最初の強い反発は、18世紀後期から19世紀初頭のロマン主義でした。

 

こうしたロマン主義運動において、イギリスで大きな影響を及ぼした詩人で画家のウィリアム・ブレークは、機械論的パラダイム至上主義を批判し冒頭のような絵を残しています。「ニュートン」(1795年)と題されたこの絵画。薄暗い海底で、ニュートンがコンパスを用いて物質世界の解明を試み、その体は岩と同化しつつある。科学万能主義への痛烈な批判となっています(ウィキペディアより)。

 

ドイツでは、ロマン主義の中心的存在だった詩人で哲学者のヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(1749−1832)が、生体のform(形態)を組織化された全体の中の関係性のパターン(”a pattern of relationships within an organized whole”)ととらえました。これは、今日のシステム論でも最前線にある概念となっています。

 

さらに、この時代の科学者の中には、全体性の概念を惑星規模に拡大し地球そのものを一つの生命体ととらえようとする人々もいました。これは、今日の科学で理解が進み、ガイア仮説あるいは地球システム科学と呼ばれる概念の元ともなるものでした。

 

19世紀後半になり顕微鏡が開発され、めざましい生物学的発見が相次ぐと、

パラダイムの振り子は再び機械論要素還元主義的世界観に振れ出します。

 

微生物学、細胞学、発生学が生まれ、遺伝法則が発見されるなどを通し、科学者たちは、生体のあらゆる特性や機能が化学と物理学の原理で最終的に説明できると信じはじめました。実際、細胞学の分野ではめざましい進展がみられました。

 

一方、細胞の中で起こるさまざまな現象や働きを一つにまとめ、全体として機能させているものは何か、ということへの理解は依然として進まないままでした。この問いから有機体論(organicism)が生まれ、20世紀初頭の機械論的世界観に対する新たな動きとなります。パラダイムの振り子は、またしても反対に振れ出すのです。

 

有機体論を支持する生物学者たちが、有機体の形態に興味を持ち考察と研究を重ねる中から、ものごとをつながり、関係性、文脈で捉えようとする新しい考え方が発展していきました。システム思考です。

 

システム的観点からは、有機体あるいは生体は一つの全体であるため、その全体としての特性は構成要素を分析しても見えてきません。そうした特性は、構成要素同士のやりとりと関係性から生まれてくるものだからです。

 

有機体論を支持するドイツの生物学者たちは、有機的な形態という概念を探求するにあたり、初期から心理学者たちと対話を重ねていました。ドイツ語で有機体の形態を意味するゲシュタルト。その概念を初めて提唱したのは、哲学者のクリスチャン・フォン・エーレンフェルス(1859-1932)でした。現在のシステム思考のキャッチフレーズとしてよく使われる「全体は部分の総和以上のものである」という表現は、ゲシュタルトを説明するために使われたエーレンフェルスの言葉でした。

 

1930年代の終わり頃までには、システム思考の主だった要素が有機体論、ゲシュタルト心理学、生態学の科学者によりまとめられ、1940年代にはシステム論が実質的に誕生しました。システムに関するさまざまな概念が整合性のある一つの理論的枠組みとしてまとめられ、生体系あるいはリビング・システム(living systems)が組織化する原理が説明されたのです。この初期のシステム論には、一般システム論そしてサイバネティックスが含まれていました。

 

1950年代から1960年代には、現実の問題解決にシステムという概念を応用する工学や経営といった分野で、システム論は大きな影響を及ぼしました。一方、生物学において、その影響はほとんど見られませんでした。それどころか、1950年代は遺伝子の構造が特定され、遺伝記号が発見されるなど、遺伝学が大きく進展し、その後数十年にわたり影響をおよぼすようになります。分子生物学の成功と進展は、あらゆる生物学的機能が分子構造と機能により説明できると広く信じられるようになるほどでした。

 

こうしてパラダイムの振り子は、再び機械論へと振れはじめるのです。

 

一方、遺伝子の正確な構造は判明したにも関わらず、何が遺伝子同士の情報をやりとりさせ生体組織を連携してつくりあげるのかは依然解明できていませんでした。そして、1970年代中頃には、分子生物学では生命と言う現象を解明することができないということが、分子生物学者たちに明らかになってきていました。

 

ところが純粋科学においては、機械論的世界観が大きく台頭しシステム論は正当な代わりのアプローチの候補になり得ない状況となっていました。この状況をもたらした一因となったのは、一般システム論の創設に貢献した著名な生物学者ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ(1902−1972)。彼が一般システム論を数学の一分野にする目標を掲げたにもかかわらず、失敗に終わったことにあります。この時代の数学的技術がまだ、リビング・システムの膨大な複雑性を扱うことができなかったのです。

 

数学の分野では、1960年代から70年代にかけ強力で演算処理の早いコンピューターが生まれると、複雑性の理論(より正確には非線形力学)が一気に飛躍しました。これによって初めて、科学者と数学者はリビング・システムの特質である非線形の相互関連性をモデル化し、関連する方程式を解くことが可能になりました。

 

さらに80年代から90年代になると生物学の分野でも、システム論と生命の有機的概念が再登場しました。

 

生命にまつわる非線形の現象の研究から、多くの新しい説得力ある理論的モデルが生まれ、生命に関する重要な特徴の多くについての理解が進みました。こうしたモデルからリビング・システムについて、一つのまとまった理論的枠組みと、それを記述するための数学がいま生まれつつあります。この新しく生まれつつある理論が、the systems view of life(「システムで読み解く生命」的な意味)なのです。そして、このテキストの大きなテーマなのです。

 

 

まとめ:

歴史の大きな流れの中でのパラダイムの揺らぎを見ていると、まるで右脳と左脳の得意分野を全体として行ったり来たり、ダンスを踊っているようです。きっと一番いいのは右脳と左脳の得意なところを生かしていくことなのかも。森も見つつ、木も見ていくような思考のあり方。また社会全体もそのような流れの中にあるような気がします。そうして人類全体が、思考する生命としてもう一つ上の段階に進化するのかもしれないという気がしました。

 

6.「そしてディープエコロジー」につづく。

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