複雑系といのち 2

これまでの記事でさんざっぱら世界観だのパラダイムだのということばが出てきたので、そろそろ世界観やらパラダイムを具体的に説明したい気持ちがムズムズ。

 

それをする前に、「まずは科学とはそもそも何だ?」ということを理解しておくと後がわかりやすい。ということで、まずは科学そもそも論がThe Systems View of Lifeのテキストには出てきます。

 

つい知ってると思いがちですが、科学そもそも論は人生でもトップ3に入るほどインパクト大きい気づきをわたしにもたらしたのでした。その幸運な出会いは、20年ほど前に遡ります。

 

わたしの記憶が確かならば…

 

海洋生物学を学びたい一心でオーストラリアに留学したての時のこと。当時よく読んでいたNew Scientistという雑誌で何気なく目にした記事に衝撃的なことが書いてあった。”Science is value laden.” (科学は価値観の影響を受けている的な意味)。

 

「え〜?!科学って価値観とか抜きで、事実ベースかつ客観的なものじゃないの〜?!」文系から理転したナイーブなわたしには衝撃的かつ目からウロコの一言。「科学は人の価値観から自由ではありえない」?!

 

さて実際どうなのか。

 

The Systems View of Lifeによると、もともとscienceはラテン語の知識(scientia)であり、18世紀くらいまでは知識を意味していました。わたし達が言ういわゆる「科学」はnatural philosophy(自然哲学)と呼ばれ、実際、アイザック・ニュートンの有名な「プリンピキア」も正式には“The Mathematical Principles of Natural Philosophy”(自然哲学の数学的諸原理)でした。

 

現代でいう科学とは、「科学的手法を用いて獲得された知識体系」をさし、科学的手法も、18から19世紀にかけて徐々に発展したもので、それが体系化され今の形として認識されるようになったのは20世紀のこと。「科学的手法とは何か」については、未だに誤解があるという。特に科学者ではない一般社会において。

 

科学的手法とは?

まず系統だった観察。そして、そうした観察を系統立てて記録すること。

こうして集まったエビデンス・科学的データを矛盾のない一貫した形で互いに結びつけscientific model(科学的モデル)を構築する。できれば数学的に。数学は一貫性と正確性に優れているので、好まれる。

その短所は、科学的モデルの取り扱える範囲を極端に狭めてしまうこと。そうなると、もはやモデルそのものが役に立たなくなってしまう。これが特に社会科学などで問題視された。結果、この20〜30年の間に数式による記述や定量的結果は、科学的手法に不可欠の要素ではないという認識が科学者の間に広まっていった。

 

20年ほど前に野生のイルカの社会行動を研究していたわたし。まさにこの辺りに大いに違和感とフラストレーションを抱えていたのでした。純粋にアカデミックな世界からはこの後離れ、二度目の修士は極めて学際的かつ応用的なものだったので、こうした認識の広がりは知らなかった。個人的に、とても良いことだと思う。

 

話しを科学的手法のプロセスに戻すと…

科学的モデルは、観察と検証を繰り返し、結果の一貫性を示し、さらにそれによって次の観察結果が予測できると、晴れて科学理論となる。こうしたモデルや理論は、研究の対象となっている事象を完璧に表したものではなく、限界があり事象に何か似たものでしかない。

ただ、完璧ではなくとも科学的手法でモデルや理論を構築することができるという事実。そして、モデルや理論を着実に進化させることが可能だという事実が、多くの科学者に自信と力を与えていた。

 

科学的モデルや理論はつつがなく着実に進化し続けるというこの信念に、正面から待ったをかけたのが物理学者で哲学者のトマス・クーン。彼は著書「科学革命の構造」(1962年)のなかで、normal science(通常科学)が長く続く間に着実に科学は進化する特徴があるのは確かだが、それはrevolutionary science(革命的科学)によって度々しばし中断されると唱えた。

 

revolutionary science(革命的科学)では、科学理論だけではなく、それを下支えする概念枠組みそのものが劇的に変化する。この下支えとなる概念枠組みを説明するのにクーンは、a scientific paradigm(科学パラダイム)という概念を提唱した。

 

日本語の情報を改めてネットで調べると諸説出てくるけど、ここはブレずにテキスト内容に忠実に。ま、ずっと忠実ではあるけど・・・(心の声)

 

“The Systems View of Life”によると、クーンは「科学パラダイム」を次のように定義しているという。

ある科学者のコミュニティで共有された概念、価値観、技術などを含むachievements(これまでの成果)の集合で、そのコミュニティにおいてlegitimate(正当な道理にあった的な意味)な課題や解を定義するのに用いられるもの。

 

となると、このコミュニティの「お約束」から外れた事象が出てくると困ったことになりますねぇ。昔の科学者たちは、こういう時一体どうしたのでしょうか?

 

3. 「科学のパラダイム、社会のパラダイム」に続く

複雑系といのち 2

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