SVL雑記 序章6

 

これまで見てきたように、科学そして社会のあり方を下支えするパラダイムは決して固定したものではなく、歴史を通じて全体論的世界観と機械論的世界観を行ったり来たりしてきました。

 

直近までは、物質的機械論的世界観が概して優勢でしたが、20世紀の終わり頃から現在にかけ、再び全体論的有機的世界観へ振りはじめているとthe Systems View of Life(2014)は言います。

 

わたし自身も、世紀の変わり目(1996-2003)に法学から海洋生物学へ方向転換し野生のイルカの行動生態を研究したり、その6年後(2009-2010)に大学院に戻りサステナビリティ戦略とリーダーシップという極めて学際的な分野を学んだりをする中で、じわじわとした変化を肌で感じました。

 

さて、生物から社会システム、生態系まであらゆるレベルのリビング・システムの生命現象について、全体論的有機的世界観が理解の基盤となっているのは前述した通り。

 

この世界観は、科学や哲学だけでなく、政治、ビジネス、医療、教育はじめ生活の多くの側面に深い影響を及ぼします。序章の終わりとなるこのセクションは、新しい生命の概念の社会的背景そして文化的背景をざっくり考察するものとなっています。

 

21世紀初めの時代の精神(Zeitgeist, “spirit of the age”)は、パラダイムが深くシフトし、世界のメタファーも精密な機械からネットワークへと変容しました。それぞれ関係のない個別の部分の集まりから、一つのまとまった全体へとシフトしたのです。

 

新しい世界観は、あらゆる事象が本質的につながっていること、一人ひとりの個人そして社会も、循環する自然のプロセスの一部であり、その生存をそこに依存していることを認めています。

 

これは1972年にノルウェーの哲学者アルネ・ネス(1912−2009)が提唱したディープエコロジーの概念ととても親和性の高い世界観となっています。ネスは、現代環境思想を大きく二つに区別しました。シャロー(shallow、要は浅いってこと)エコロジーとディープエコロジーという概念に。

シャローエコロジーは、人間中心で、人間を自然界の頂点あるいは外側にあるものと認識し、自然の価値を人間にとっての利用価値で測っています。一方、ディープエコロジーでは、すべての生命に本質的な無条件の価値を認め、人間も生命の網(the web of life)のなかの一筋の糸にすぎないと捉えています。

 

こうした認識(awareness)は、究極的にはスピリチュアルな認識と言えます。人間の霊性(human spirit)が、宇宙全体(cosmos)とのつながりや帰属感を覚える意識の状態だとすれば、ディープエコロジー的認識というのは、本質的にスピリチュアルなものであるとCapraとLuisiは指摘します(p.13)。

 

ちなみに、わたしのお気に入りの本「宇宙船地球号操縦マニュアル」のバックミンスター・フラーによれば、わたし達の存在するシステムの境界を極限まで広げると宇宙になります。つまり、宇宙は私たち人間が存在する最大のシステムと言えるのです。

 

さて、「より深く問うこと」(to ask deeper questions)もまた、ディープエコロジーの真髄であるとネスは言います。「パワフルな問い」(powerful questions)を中心とした対話の場の設計をライフワークの一つとしているわたしには、なんだかとっても共感するくだり。

 

「より深く問うこと」は、パラダイム転換における本質でもあります。古いパラダイムのあらゆる側面を問い直すことが必要なのです。古いパラダイムの全てを捨てさるためではなく、手放すべき側面を手放し、維持するものを維持していくためです。

 

ディープエコロジーは、現在の科学的工業的で成長至上主義の物質的な世界観とライフスタイルを、お互いのつながり、将来の子どもたちとのつながり、すべての生命とのつながりという観点から、改めて深く問いなおすものなのです。

 

序章3「科学のパラダイム、社会のパラダイム」でも触れましたが、パラダイムは基本的に概念、技術、価値観の集合体です。なので、パラダイムの転換には、必然的に価値観の転換が伴います。

 

いま起こりつつあるパラダイムの転換とともに価値観の転換が起こっています。自己の主張(self-assertion)を中心とする価値観から統合(integration)を中心とする価値観へ。

 

これはどちらが良い悪いというものではありません。自己主張も統合もリビング・システムに不可欠の側面なのです。強いて言えば、どちらかに偏りバランスの崩れた状態が不健全で悪いと言えます。この両側面がダイナミックにバランスのとれた状態にあることが健全なのです。

 

ここで価値観と考え方のシフトの相関関係から興味深いことが見えてきます。

 

考え方価値観
自己主張的統合的自己主張的統合的
合理的直感的拡大保存
分析融合競争協調
還元主義的全体論的
直線的非直線的支配パートナーシップ

(the Systems View of Life, p.13より翻訳)

 

拡大、競争、支配といった自己主張的価値観は、一般的に男性性を想起させるものです。社会によっては、経済的見返りや権力さえもたらされます。

 

他者を支配するという意味での力は、実際自己主張の行きすぎたものです。これが最も顕著に見られるのが政府、軍隊、企業など階層化した社会構造です。こうした社会構造では、男性が支配的地位を占めていることが多いものです。でも、性別にかかわらず自分の地位が自己と同一化している場合、パラダイムの転換による価値観の変化は、彼らに実存的な脅威をもたらします。

 

どうりで…パラダイムの転換が社会を変えるツボとして最も効果の高い介入点でありながら、同時に最も難しく時間がかかるというドネラ・メドウズの主張も頷けます。(参考記事:@Hatena)

 

話を価値観に戻すと…

価値観は、ディープエコロジー的世界観の極めて大切な要素となっています。

機械論的世界観が人間中心(anthropocentric)なのに対し、ディープエコロジー的世界観は自然全体が中心(ecocentric)です。すべての生命が互いにつながっているからこそ、それぞれが存在できていることを認識し、それゆえ、あらゆる生命に無条件で本質的価値をみるという世界観です。こうした世界観が日々の生活で当たり前となった時、これまでとは全く違った倫理体系が生まれてくるでしょう。

 

こうした倫理感がいま、必要となっています。そしてとりわけ科学の分野で。

 

科学は、わたし達の社会に便利さと快適さをもたらす一方、生命を破壊するような側面が多くあります。物理学者は大量破壊兵器の開発に手を貸し、化学薬品は環境を汚染しています。生物学者は、その影響もわからないまま未知の微生物を開発し、様々な分野で動物実験という虐待がまかり通っています。科学が生命の繁栄にさらに貢献していくために、ディープエコロジー的倫理基準が必要とされています。

 

テキストのこの部分に関して言うと・・・

 

まぁ、科学の負の側面に関しては、そして企業にも同じことが当てはまると思うけど、圧倒的多数は負の側面を意図しているわけではないと思う。むしろオッペンハイマーのように戦争を少しでも早く終わらせたいという思いや、人の生活をもっと楽にしたい、病気の人を助けたいという、誰か何かのために貢献したいという思いから出ていると思う。

 

だからこそ、個別の事象がすべて相互につながり、影響を与え合っているという認識と理解、倫理とまでは言わなくても、システム論的全体論的な世界の認識と理解が大切になる。別に因果ループ図を書くとか技術レベルの話ではなく、地球というシステム、そのサブシステムである様々なレベルのリビング・システム同士の仕組みと相互関係を、ざっくりと認識しているだけでも負の側面は減っていく予感がある。

 

なぜなら、これまでずっと支配的だった機械論的要素還元主義的パラダイムの中、科学はどんどん細分化され専門に分かれ、それぞれの分野がそもそもどうつながり、関係し、影響しあっているのかが見えにくくなってしまっているから。

 

木を見て森を見ず。目の前の木を必死に育て大切にしていたら、森そのものが死にかけていた、みたいな orz

 

さて、テキストに話を戻すと・・・

 

生きとし生けるものに無条件の存在意義をみるという意識は、自分は自然の一部だという精神的な感覚から生じてくるものです。自己という感覚が拡大し自然と同一化している状態は、ディープエコロジー的倫理を育むにふさわしい土壌となります。

 

アルネ・ネスの言葉が、それをわかりやすく表しています。

 

“Care flows naturally if the “self” is widened and deepened so that protection of free nature is felt and conceived as protection of ourselves….if your “self” in the wide sense embraces another being, you need no moral exhortation to show care…You care for yourself without feeling any moral pressure to do it.”

(quoted by Fox, 1990, p.217)

 

ざっくり訳すと・・・

 

「自分という感覚が広がりと深まりを持ち、自然を守ることが自分を守ることと同じ感覚になれば、大切にする気持ちが自然と生まれる・・・自分という感覚に他の生命が含まれるようになった時、道徳心がなくてもすべての生命を大切にする。道徳的圧力がなくても自然と自分を大切にするように。」

 

要するに、自分の好きなもの、大切なもの、自分から切り離せないもの、自分というアイデンティティの一部になっているものは、言われなくても大切にしようと思うでしょ、ということ。

 

環境哲学者のワーウィック・フォックスによると、自然と自分を同一視する意識が、それを守ろうという行動になるのは、論理的な理解ではなく心理的つながりだと言います。

 

つまり新しい生命の概念と全体論的な世界観を頭で理解しただけでは、行動にはつながらないということ。代わりに、自然との一体感を感じる深い経験が、(倫理的「べき」論ではなく)自発的に生きとし生けるものを大切にしようという行動につながっていきます。

 

分かる!

 

わたしがHappier Business (for all life on the planet) をはじめた根っ子の理由は、まさにこれ。自然、自然のなかに生きるいのち、そして世界に生きる人々と出会い、苦しい時に支えられ、心がつながってしまったから。ネスの言葉にあるように、自然も人もあらゆるいのちが自分にとって家族のようになり、自分の一部と感じられるようになったからでした。詳細はおいおい個人ブログにて。

 

閑話休題・・・

 

新しく生まれつつある生命が相互につながる世界観は、ディープエコロジーの言葉を借りれば、生命が中心となる世界観です。機械論的パラダイムのもとでは物理学がすべての科学の根幹としての地位を占めていました。最も根本的に世界のあり方を説明できると考えられていたからです。ですが、物理学だけでは、リビング・システムが自己組織化するパターンやプロセスを説明できません。新しいパラダイムへのシフトは、基盤となる科学も物理学から生命科学(life sciences)へとシフトしていくのです。

 

テキスト原文では、生命科学がlife sciencesと複数形になっています。これは、いわゆる生命科学から連想する生物学、先端医療、分子生物学などの分野だけでなく、生命現象を科学的アプローチで総合的に理解しようとする試みの集合体としての生命科学を意味しているのでしょう。

 

さぁ、このテキスト、今後どう展開していくのでしょうか?

まだまだ、続きます。

SVL雑記 序章6

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